前回は魔法技術に発展よって農業が発達する可能性に関して「例えば魔法で火を起こすことが出来たからって、その火の有効な使い方を思いつくことが出来る文明レベルでないと火の魔法を農業に生かせない」というベクトルで話をさせていただきました。
今回はそれとはまったく別のベクトルでお話をしてみようと思います。
必要は発明の母
確かにエジソンなどの一部の天才は「ひらめき」によって数々の発明を世に生み出しました。しかし発明というのはそれだけではなく、このことわざの通り何か問題を解決する必要があって、その手段として生まれる場合もあります。
実際、単に発見やひらめき主導の発明というのは人を驚かせるだけで発達に寄与しない場合が多いです。エジソンも有名な発明の陰で、電気を利用した入れ墨掘り機とか霊界通信機とか象を一瞬で感電死させる機械とか珍妙な発明をいくつもしていますw
また、前回の序盤で蒸気機関の話をさせていただきました。蒸気機関の原理自体は1世紀において発想が出ておりましたが、これが産業を発展させるための動力として実用化されるのはそれよりも千年以上先になります。
発明されてから10世紀以上もの間。なぜそれを自動機械に応用しようというひらめきが降りなかったのでしょう。それは、考える必要が無かったからです。
蒸気機関実用化の歴史を具体的にたどってみましょう。それはまず11世紀あたりがスタートとなります。その辺りで
1、医学の進歩によって死亡率が減って人が増え
2、増えた欧人がおのおの暮らしを豊かにするために邁進し
3、その結果人手が足りなくなり
4、その人手不足を解消し、物を大量に生産するための機械が発明される
という流れを経たのち、17世紀辺りで「蒸気の力を利用すれば機械を自動化できるんじゃね?」と気付く人がヨーロッパ各地で出始め、その後「セイヴァリ」「ニューコメン」「ワット」などの手によりようやく蒸気機関が実用化されるのです。
では1世紀のギリシャやローマにはそういう流れは発生しなかったのでしょうか?
ギリシャの人手事情ですが、彼らの人口はいても10~20万人くらい、ローマ辺りは人も多かったですが百万人と言った所で、二つ合わせても日本の東京の人口に遠く及ばない程度の人数しか中央にはいませんでした。
ましてやその中でも豊かな暮らしが出来る人(貴族)は大体平均1~2%前後、推定1万人程度となります。その1万人程度が贅沢なくらしをするだけなら残りの98~99%の人間を労働力とすればよく、ギリシャではわざわざ蒸気機関を発展させる必要もなかったわけです。
人は無条件に発展を求めるか?
ここまで聞いて「いや、必要ないとは言っても人は普通、理由なんかなくたって進歩や発展を求めるもんじゃね?」 と思うかもしれません。実際、それが全くないとはいいません。
しかし現代の我々が理由もなく進歩や発展を強く求めるのは、教育や近代の急激な発展の経験によって、進歩や発展のうま味を知ってしまっているからです。
我々は『この技術、今は使い方が分からないけど、きっと誰かが何かに役立ててくれるに違いない』『誰かがこの技術を生かしてすごい物を作って、僕らを得させてくれるに違いない』と無条件に信じているからこそ何の疑いもなく発展や進歩を望み、前進する努力を惜しまないのです。
そういった発展に対する先々への期待感もない、そんな昔の人類をかろうじて発展に導いたのは知的好奇心を満たしたいという知識欲、そして戦争でした。
知的好奇心によってギリシャ・ローマ人たちは数々の発明をしましたが、それは言ってみればお遊びのようなもので、そのほとんどが時間が経てば遊びつくされたおもちゃのように放置され、それを発展実用化させようという者は殆ど現れませんでした。
戦争はどうでしょう? これも一つの手近な「必要性」であり、確かにそこに文明発展の糸口になったものもありました。
しかし、基本的に軍事関係の発明は戦争で使われる時点で既に役目をはたしているわけで、そこから文明発達の為に転用させようとする者はやはり現れませんでした。
このように古代の発明の動機というのは基本刹那的で、その発明を他へ応用しようという所まで考えが及ばなかったのです。
魔法による伐採・肥料生産は農業を発展させるか?
さて、以前書きました動画チャット上で飛び交った意見の中に「魔法によって山林を伐採して土地をたくさん増やせれば農業は発展するんじゃね?」という意見もありました。
果たしてどうでしょうか? その辺りをこれまでに書いたことを踏まえて考えてみます。
確かに、農場を作りたくても土地が無くて作れないという状況が農業の発達を妨げ、それを解消する事によって農業が発達するという事はありそうに思えます。
しかし思い出してみてください。大抵のファンタジー世界は広々としており、農地が作れないほど土地がないような世界観というのはとんと見る事はありません。そもそも農地が足りなくなる状況とはどんな状況でしょう? 人口の少なさそうなほとんどの世界観では想像できません。
ここで、我々のいる現実世界の歴史を再びひも解いてみます。我々の世界、特にヨーロッパの森林、山岳地帯では結構早期に森林を開き農地を作る事が行われていました。
「なんだ、農地が足りていても開墾は行われるんじゃないか」と思うかもしれませんが、すこし事情が違います。
古代ヨーロッパの場合、農地開墾の理由は「農地が不足していたから」という理由ではなく、「森林を燃やした後地を畑にすると食物がよく育つ」という事が体感的に理解されていたからです。
つまり初期の農業はそうやって野山を焼いて天然の肥料を得ていたわけです。しかし、そういった土地は数年で養分が無くなり痩せ細るため、人々は畑が使えなくなるたびにまだ焼いていない近隣の森林を焼いてそこを畑として、転々と畑を移していく必要がありました。
初期の頃の開拓は、けして広い土地が必要だったからそうしたわけではなく、肥えた土地を求めての事なのです。したがって、開墾も数年に一度のタイミングで必要な分だけ行われるような感じでした。
「なんだ、だったら肥料を魔法で作れれば発展するじゃん」と考えるかもしれませんが、それは早とちりです。なぜならば、当時は肥料を必要とするほど農作物の生産が必要としていなかったからです。
特に西暦一桁代あたりは自分たちが春から秋まで毎日食べる分と冬を越す貯え分だけ作れれば十分で、それは個人の畑で十分賄え、その土地の肥料も山を焼いて十分賄える量でした。山を焼けば十分な量がタダで手に入るのに、わざわざ金を掛けるような人はいないわけです。
長くなったので、次回に続けます。