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同人サークル「Segment-R」の活動紹介。何か同人ソフトを作るヒントが見つかるかも

 

魔法が発達すると農業は本当に発達するか?(その3)

前回は「基本的に自給自足が成り立っている状況においては、肥料の購入や広い土地の開拓などを必要とはしておらず、そういうファンタジー世界ではそれらの為に魔法を使う機会もないだろう」という話をさせていただきました。

 

今回はその続きです。

 

 

どうなれば開墾や肥料の売買が行われるようになるか

 

では我々の世界ではどうだったのでしょうか? 我々の世界の歴史の場合、土地の開拓や肥料の売買が行われる状況になるには個々の生活のクオリティの上昇と工業などの発展を必要としました

 

人々の生活のクオリティが上がる、具体的には医学の発展などで死の危険から遠ざかる事により人々の心に余裕が出てきて、平民や農民も含めた個々の暮らしが贅沢になっていき、多くの人の食生活が豊かになっていきます。

 

また村が町へ発達してくるにつれ、町を管理する人々はそれを専門に行い、農作業などを行わなくなります。それにより農作物を作る人が減り、またそうした人たちに農作物を売るような流れが生じ始めます。

 

しかし、それでも農作物の生産が間に合っているうちは彼らは特に農作物の増産の必要性を感じませんでした。農作物の需要が増えたからといって、作りすぎれば相対的に作物の値段は下がります。少なすぎず多すぎず、彼らはゆるゆると生産を続けます。

 

やがて贅沢が進むと、より高級な肉が大量に求められるようになります。最初は草だけを与えていたものが効率を上げるために本来人が食べていたものを飼料としてあたえるようになり、家畜を養うコストがあがっていきました。

 

また、農作物をでんぷんなどに加工して工業に利用するような用途も求められました。それらによって農作物は人が食べる量よりもはるかに多くの生産量を必要とすることになったわけです。

 

ちなみに例えばトウモロコシの場合、現代その用途の65%は飼料用、15~20%は工業用途で、人が食べる量はせいぜい15~20%と1/5程度です。

 

つまりトウモロコシだけでざっくり言えば、自給自足分の5倍もの生産量が必要となっているわけです。

 

また町も発達して次第に街へと変わり、需要がより増していきます。そういった消費増加の結果、農作物の栽培に広い土地が必要となり、人は内陸には飽き足らず新大陸への進出まで目指すようになります。十五世紀の半ば頃の話です。

 

また消費量の増加はより効率的な肥料の調達の必要性を生じさせました

 

前回、焼き畑農業の話をしましたが、その後ヨーロッパ人は畑を休ませその土地を放牧などに利用する事により、痩せた土地が復活する事を知りました。

 

それは穀草式農法と呼ばれ、わざわざ森林を切り開くよりもっと楽に畑を豊かに出来るこの方法を人々は取り入れ始めました。それは輪作や二毛作と組み合わされて発展していきます。

 

しかし穀草式農法では微妙に栄養価が足りない為、それを補う為に家畜の排泄物とわらを混ぜて発酵させた物を自作してそれを補うことを始めます。

 

つまり必要性が出てきたので簡単な肥料などを自家製で作るようになったのです。しかしそれでも各農家の肥料が自作した物で十分間に合っている段階ではそれらが売買される事は殆どありませんでした。

 

しかし穀草式は土地の半分を牧草地として確保することが必要となり普通に畑を持つ半分の量しか作物が生産できません。また人口増加で消費量が増え、さらに産業の分化が進み農業をしない人の分まで農家が作物を作らないといけない状況となるにつれ、とても自給自足を前提とした体制では生産を賄いきれなくなります。

 

こうして農業は効率化への道を歩み始めます。国や領主などが農民を管理、隷属させる流れが激化し、肥料も専門の人が作ったものを調達して使うような流れとなるのです。

 

この状況にまでなって、ようやく魔法で開墾したり肥料が大量生産出来る事に意味が出てくるのですが、さて小説で描かれているファンタジー世界はここまで状況が進んでいるでしょうか?

 

……と、ここまで読んでおそらく「そりゃあ肥料とかはそうかもしれないけど、それ以外の魔法でなにかあるかもしれないじゃん」と思う方もいるでしょう。しかし、それが現代の科学で実現可能で、かつ、農作物の生産効率に直接的・間接的に関わる魔法であるのなら同じ事です。

 

皆さんは現代の農家が市場を安定させるために、作りすぎた農作物を故意に捨てたりすることがあることをご存じでしょうか? 保存が利く現代でもそうなのです。ましてやそれが難しいファンタジー世界で作りすぎた作物がどれだけ邪魔になるか想像にかたくないでしょう。

 

少なくとも、自給自足時代に食料が足りている状況で敢えて食料生産量を増やす努力をしないであろう事は想像に難くないと思われます。

 

昔の農業に関するネガティブなイメージ

 

また農業のイメージについて、多くの人が必要以上に古代の農業にネガティブなイメージを持っているのも、ある種の誤解を生みだしていると思われます。

 

具体的に言いますと、多くの人が「昔は干ばつなど自然災害による不作で食料が常に不足して、多くの人が飢餓に見舞われていて、日々食うのにも困っていた」という印象を無意識のうちに持っていないでしょうか?

 

そして「それらが魔法によって解決すれば農作物の生産量も増え、農業も発展するんじゃねーの?」と思っていないでしょうか?

 

しかし実際、自然災害による飢餓には地域差があり、それらは主に(日本も含む)東アジアに見られる状況でした。日本だと鎌倉・室町時代は不作と戦の影響で平均寿命が15~25歳前後まで落ち込んだという分析もあります。

 

ところが、例えば中央アジア、特にインドなどでは自給自足が成り立っていた時より、むしろ植民地化され作物よりも綿などの収益性の高い農産物の生産に強制的に切り替えられた時期の方が、大規模な飢餓の発生率が遙かに高かったりします。

 

また欧州などでは飢餓が歴史上に頻繁に現れるのは人口が増加を始める13世紀辺りからで、それ以前は、歴史で語られるような飢餓は殆ど発生していません。

 

もちろん凶作などは人類が農業を始めた直後から普通に発生してたと思われますが、発生したとしてもそれはヨーロッパ全域の面積から見れば局所的で、(歴史書などに記載されるような)大きな災害、広域で対策を必要とするようなものではなかったと思われます。

 

また、史実などで飢餓が語られる場合、例えば「支配階級による重税」や「戦争・疫病の流行などによる人手不足を原因とした社会システムのマヒ」等の社会システムが関係する場合が多いです。先ほどのインドの話もそういう流れの一つと言えるでしょう。

 

社会システムが原因で飢餓が発生しているような場合では、魔法を行使出来る特権階級がまともに機能している状況ではないわけで、魔法がどのように発達していようとそんな状況下で魔法を農業発展に生かせるとはとても思えません

 

ヨーロッパ以外の農業


これまではファンタジーの世界観の原型として、主にヨーロッパ圏を中心に語ってきました。

 

ではアジア圏はどうだったのかと言うと、それはこまごまとした色々なファクターが存在して、一概に語るのが難しいです。

 

例えば日本では稲作が早くから行われていましたが、水田というのは畑に比べて土壌微生物が豊富に繁殖し土地が痩せにくい(あるいは痩せない)システムであり、そもそも肥料系の事をあまり考えなくてもよい状況でした。

 

畑にはヨーロッパ圏と同じような肥やしの普及がありましたが、自家製で十分まかなえる状態が昭和の辺りまで続きました。

 

またそもそも土地が狭いので奈良時代辺りで既に開墾が盛んに行われていました。墾田永年私財法(自分で開拓した土地の田畑は自分の物にしていいという法律)という単語を歴史の授業で覚えさせられたと思いますw

 

しかし貴族の力が衰え、そこから安土桃山時代あたりまでの間は戦が頻繁に行われ農民がそれに駆り出されるような状況となりました。

 

そんな状況では農業の発展とかを考えるような余裕がありません。つまる所、何かが発展する文化的土壌が失われていた時期と言えます。それによって農業に限らず文明全般についてヨーロッパや中国と大きく差が開いてしまうわけです。

 

ちなみにヨーロッパでは早期から兵は専業傭兵や封建兵などが主体であり、日本のように「兵の9割が農民と兵士を兼ねた兼業傭兵的な存在」みたいな事はありませんでした。

 

そして、安土桃山・江戸時代となり人々の生活に余裕が出てきて、ようやく国が先頭に立って再び開墾が行われるようになります。

 

中国などの他アジアは土地が腐るほどあったので、例えば作物や肥料などの工夫で生産効率を上げるみたいな事を考える必要はなく、また水害が激しかったので治水が農業政策のメインでそれ以外の事を考える素地がない状況でした。中央、西アジア付近は乾燥地帯で、農業自体がどうにもならない状況でした。

 

「ここにウエザーコントロール的な魔法が導入されれば――」という方向性の話が出来ると思いますが、その辺りは後日にw

 

その他諸々、この辺りをこまごまと分析していくのもそれは楽しいのですがw それは別の機会に譲る事にします。

 

まとめ

 

ファンタジー世界において(特になろう系の場合)多くの世界観が、農地に出来る十分な土地を持ち、そこには豊かな実りがあり、自給自足が成り立っているように見受けられます。

 

そこにわざわざ魔法を用いて農業を発達させる必要性を住民が感じていることはないであろうと思われます。

 

我々は必要が無くてもとりあえず技術を発達させる流れに何の疑問も持ちませんが、それは教育や実体験で発達のうま味を知っているからです。

 

我々の世界の12~13世紀より前のヨーロッパの農業は自給自足が主体で、また発達のうまみを知らないため、そのような状況では誰も農業の発展の必要を感じず、結果農業は大して進歩を見せていません

 

しかしそれより以降、人が増え、社会の流れが変わり、人が住みにくい土地にも生活範囲を広げる必要が出て来て、ようやく農作物の大量生産が必要になってきます。そのような状況になってはじめて農業は発展の道を歩み始めるわけです

 

こういう何か特別な理由が世界に発生していないにも関わらず、その住人が必要もないのに今の我々のような「とりま発達」の精神を持って農業の発達に臨むのは、世界観としてむしろ不自然であると思われます。


次回はさらに別のベクトルからファンタジー世界の農業の発展について考えてみます。

 

今までは、常に「現代科学で再現可能な魔法に関しては」という条件を設定していました。

 

では、例えば少し前に上げた「気象コントロール魔法」とか、「特定の害虫・害獣だけを根こそぎ絶滅させることが出来る死の魔法」とか、現代の科学では実現の難しい魔法はどうなのか、そういう話になります。

 

余談

 

ただ、例えば「まおゆう魔王勇者」ですとか、そうではない世界観──豊かな環境と貧しい環境の差が初期の時点で激しく、貧困が日常的に発生している世界観──の作品もそれなりに存在します。まおゆうについても後日語ります。

 

個人感では農業に関して見事な描写をしていると思います。