同人ソフト制作部屋 分室

同人サークル「Segment-R」の活動紹介。何か同人ソフトを作るヒントが見つかるかも

 

魔法が発達すると農業は本当に発達するか?(その3)

前回は「基本的に自給自足が成り立っている状況においては、肥料の購入や広い土地の開拓などを必要とはしておらず、そういうファンタジー世界ではそれらの為に魔法を使う機会もないだろう」という話をさせていただきました。

 

今回はその続きです。

 

 

どうなれば開墾や肥料の売買が行われるようになるか

 

では我々の世界ではどうだったのでしょうか? 我々の世界の歴史の場合、土地の開拓や肥料の売買が行われる状況になるには個々の生活のクオリティの上昇と工業などの発展を必要としました

 

人々の生活のクオリティが上がる、具体的には医学の発展などで死の危険から遠ざかる事により人々の心に余裕が出てきて、平民や農民も含めた個々の暮らしが贅沢になっていき、多くの人の食生活が豊かになっていきます。

 

また村が町へ発達してくるにつれ、町を管理する人々はそれを専門に行い、農作業などを行わなくなります。それにより農作物を作る人が減り、またそうした人たちに農作物を売るような流れが生じ始めます。

 

しかし、それでも農作物の生産が間に合っているうちは彼らは特に農作物の増産の必要性を感じませんでした。農作物の需要が増えたからといって、作りすぎれば相対的に作物の値段は下がります。少なすぎず多すぎず、彼らはゆるゆると生産を続けます。

 

やがて贅沢が進むと、より高級な肉が大量に求められるようになります。最初は草だけを与えていたものが効率を上げるために本来人が食べていたものを飼料としてあたえるようになり、家畜を養うコストがあがっていきました。

 

また、農作物をでんぷんなどに加工して工業に利用するような用途も求められました。それらによって農作物は人が食べる量よりもはるかに多くの生産量を必要とすることになったわけです。

 

ちなみに例えばトウモロコシの場合、現代その用途の65%は飼料用、15~20%は工業用途で、人が食べる量はせいぜい15~20%と1/5程度です。

 

つまりトウモロコシだけでざっくり言えば、自給自足分の5倍もの生産量が必要となっているわけです。

 

また町も発達して次第に街へと変わり、需要がより増していきます。そういった消費増加の結果、農作物の栽培に広い土地が必要となり、人は内陸には飽き足らず新大陸への進出まで目指すようになります。十五世紀の半ば頃の話です。

 

また消費量の増加はより効率的な肥料の調達の必要性を生じさせました

 

前回、焼き畑農業の話をしましたが、その後ヨーロッパ人は畑を休ませその土地を放牧などに利用する事により、痩せた土地が復活する事を知りました。

 

それは穀草式農法と呼ばれ、わざわざ森林を切り開くよりもっと楽に畑を豊かに出来るこの方法を人々は取り入れ始めました。それは輪作や二毛作と組み合わされて発展していきます。

 

しかし穀草式農法では微妙に栄養価が足りない為、それを補う為に家畜の排泄物とわらを混ぜて発酵させた物を自作してそれを補うことを始めます。

 

つまり必要性が出てきたので簡単な肥料などを自家製で作るようになったのです。しかしそれでも各農家の肥料が自作した物で十分間に合っている段階ではそれらが売買される事は殆どありませんでした。

 

しかし穀草式は土地の半分を牧草地として確保することが必要となり普通に畑を持つ半分の量しか作物が生産できません。また人口増加で消費量が増え、さらに産業の分化が進み農業をしない人の分まで農家が作物を作らないといけない状況となるにつれ、とても自給自足を前提とした体制では生産を賄いきれなくなります。

 

こうして農業は効率化への道を歩み始めます。国や領主などが農民を管理、隷属させる流れが激化し、肥料も専門の人が作ったものを調達して使うような流れとなるのです。

 

この状況にまでなって、ようやく魔法で開墾したり肥料が大量生産出来る事に意味が出てくるのですが、さて小説で描かれているファンタジー世界はここまで状況が進んでいるでしょうか?

 

……と、ここまで読んでおそらく「そりゃあ肥料とかはそうかもしれないけど、それ以外の魔法でなにかあるかもしれないじゃん」と思う方もいるでしょう。しかし、それが現代の科学で実現可能で、かつ、農作物の生産効率に直接的・間接的に関わる魔法であるのなら同じ事です。

 

皆さんは現代の農家が市場を安定させるために、作りすぎた農作物を故意に捨てたりすることがあることをご存じでしょうか? 保存が利く現代でもそうなのです。ましてやそれが難しいファンタジー世界で作りすぎた作物がどれだけ邪魔になるか想像にかたくないでしょう。

 

少なくとも、自給自足時代に食料が足りている状況で敢えて食料生産量を増やす努力をしないであろう事は想像に難くないと思われます。

 

昔の農業に関するネガティブなイメージ

 

また農業のイメージについて、多くの人が必要以上に古代の農業にネガティブなイメージを持っているのも、ある種の誤解を生みだしていると思われます。

 

具体的に言いますと、多くの人が「昔は干ばつなど自然災害による不作で食料が常に不足して、多くの人が飢餓に見舞われていて、日々食うのにも困っていた」という印象を無意識のうちに持っていないでしょうか?

 

そして「それらが魔法によって解決すれば農作物の生産量も増え、農業も発展するんじゃねーの?」と思っていないでしょうか?

 

しかし実際、自然災害による飢餓には地域差があり、それらは主に(日本も含む)東アジアに見られる状況でした。日本だと鎌倉・室町時代は不作と戦の影響で平均寿命が15~25歳前後まで落ち込んだという分析もあります。

 

ところが、例えば中央アジア、特にインドなどでは自給自足が成り立っていた時より、むしろ植民地化され作物よりも綿などの収益性の高い農産物の生産に強制的に切り替えられた時期の方が、大規模な飢餓の発生率が遙かに高かったりします。

 

また欧州などでは飢餓が歴史上に頻繁に現れるのは人口が増加を始める13世紀辺りからで、それ以前は、歴史で語られるような飢餓は殆ど発生していません。

 

もちろん凶作などは人類が農業を始めた直後から普通に発生してたと思われますが、発生したとしてもそれはヨーロッパ全域の面積から見れば局所的で、(歴史書などに記載されるような)大きな災害、広域で対策を必要とするようなものではなかったと思われます。

 

また、史実などで飢餓が語られる場合、例えば「支配階級による重税」や「戦争・疫病の流行などによる人手不足を原因とした社会システムのマヒ」等の社会システムが関係する場合が多いです。先ほどのインドの話もそういう流れの一つと言えるでしょう。

 

社会システムが原因で飢餓が発生しているような場合では、魔法を行使出来る特権階級がまともに機能している状況ではないわけで、魔法がどのように発達していようとそんな状況下で魔法を農業発展に生かせるとはとても思えません

 

ヨーロッパ以外の農業


これまではファンタジーの世界観の原型として、主にヨーロッパ圏を中心に語ってきました。

 

ではアジア圏はどうだったのかと言うと、それはこまごまとした色々なファクターが存在して、一概に語るのが難しいです。

 

例えば日本では稲作が早くから行われていましたが、水田というのは畑に比べて土壌微生物が豊富に繁殖し土地が痩せにくい(あるいは痩せない)システムであり、そもそも肥料系の事をあまり考えなくてもよい状況でした。

 

畑にはヨーロッパ圏と同じような肥やしの普及がありましたが、自家製で十分まかなえる状態が昭和の辺りまで続きました。

 

またそもそも土地が狭いので奈良時代辺りで既に開墾が盛んに行われていました。墾田永年私財法(自分で開拓した土地の田畑は自分の物にしていいという法律)という単語を歴史の授業で覚えさせられたと思いますw

 

しかし貴族の力が衰え、そこから安土桃山時代あたりまでの間は戦が頻繁に行われ農民がそれに駆り出されるような状況となりました。

 

そんな状況では農業の発展とかを考えるような余裕がありません。つまる所、何かが発展する文化的土壌が失われていた時期と言えます。それによって農業に限らず文明全般についてヨーロッパや中国と大きく差が開いてしまうわけです。

 

ちなみにヨーロッパでは早期から兵は専業傭兵や封建兵などが主体であり、日本のように「兵の9割が農民と兵士を兼ねた兼業傭兵的な存在」みたいな事はありませんでした。

 

そして、安土桃山・江戸時代となり人々の生活に余裕が出てきて、ようやく国が先頭に立って再び開墾が行われるようになります。

 

中国などの他アジアは土地が腐るほどあったので、例えば作物や肥料などの工夫で生産効率を上げるみたいな事を考える必要はなく、また水害が激しかったので治水が農業政策のメインでそれ以外の事を考える素地がない状況でした。中央、西アジア付近は乾燥地帯で、農業自体がどうにもならない状況でした。

 

「ここにウエザーコントロール的な魔法が導入されれば――」という方向性の話が出来ると思いますが、その辺りは後日にw

 

その他諸々、この辺りをこまごまと分析していくのもそれは楽しいのですがw それは別の機会に譲る事にします。

 

まとめ

 

ファンタジー世界において(特になろう系の場合)多くの世界観が、農地に出来る十分な土地を持ち、そこには豊かな実りがあり、自給自足が成り立っているように見受けられます。

 

そこにわざわざ魔法を用いて農業を発達させる必要性を住民が感じていることはないであろうと思われます。

 

我々は必要が無くてもとりあえず技術を発達させる流れに何の疑問も持ちませんが、それは教育や実体験で発達のうま味を知っているからです。

 

我々の世界の12~13世紀より前のヨーロッパの農業は自給自足が主体で、また発達のうまみを知らないため、そのような状況では誰も農業の発展の必要を感じず、結果農業は大して進歩を見せていません

 

しかしそれより以降、人が増え、社会の流れが変わり、人が住みにくい土地にも生活範囲を広げる必要が出て来て、ようやく農作物の大量生産が必要になってきます。そのような状況になってはじめて農業は発展の道を歩み始めるわけです

 

こういう何か特別な理由が世界に発生していないにも関わらず、その住人が必要もないのに今の我々のような「とりま発達」の精神を持って農業の発達に臨むのは、世界観としてむしろ不自然であると思われます。


次回はさらに別のベクトルからファンタジー世界の農業の発展について考えてみます。

 

今までは、常に「現代科学で再現可能な魔法に関しては」という条件を設定していました。

 

では、例えば少し前に上げた「気象コントロール魔法」とか、「特定の害虫・害獣だけを根こそぎ絶滅させることが出来る死の魔法」とか、現代の科学では実現の難しい魔法はどうなのか、そういう話になります。

 

余談

 

ただ、例えば「まおゆう魔王勇者」ですとか、そうではない世界観──豊かな環境と貧しい環境の差が初期の時点で激しく、貧困が日常的に発生している世界観──の作品もそれなりに存在します。まおゆうについても後日語ります。

 

個人感では農業に関して見事な描写をしていると思います。

魔法が発達すると農業は本当に発達するか?(その2)

前回は魔法技術に発展よって農業が発達する可能性に関して「例えば魔法で火を起こすことが出来たからって、その火の有効な使い方を思いつくことが出来る文明レベルでないと火の魔法を農業に生かせない」というベクトルで話をさせていただきました。

 

今回はそれとはまったく別のベクトルでお話をしてみようと思います。

 

 

必要は発明の母

 

確かにエジソンなどの一部の天才は「ひらめき」によって数々の発明を世に生み出しました。しかし発明というのはそれだけではなく、このことわざの通り何か問題を解決する必要があって、その手段として生まれる場合もあります。

 

実際、単に発見やひらめき主導の発明というのは人を驚かせるだけで発達に寄与しない場合が多いです。エジソンも有名な発明の陰で、電気を利用した入れ墨掘り機とか霊界通信機とか象を一瞬で感電死させる機械とか珍妙な発明をいくつもしていますw

 

また、前回の序盤で蒸気機関の話をさせていただきました。蒸気機関の原理自体は1世紀において発想が出ておりましたが、これが産業を発展させるための動力として実用化されるのはそれよりも千年以上先になります。

 

発明されてから10世紀以上もの間。なぜそれを自動機械に応用しようというひらめきが降りなかったのでしょう。それは、考える必要が無かったからです。

 

蒸気機関実用化の歴史を具体的にたどってみましょう。それはまず11世紀あたりがスタートとなります。その辺りで

 

1、医学の進歩によって死亡率が減って人が増え

2、増えた欧人がおのおの暮らしを豊かにするために邁進し

3、その結果人手が足りなくなり

4、その人手不足を解消し、物を大量に生産するための機械が発明される

 

という流れを経たのち、17世紀辺りで「蒸気の力を利用すれば機械を自動化できるんじゃね?」と気付く人がヨーロッパ各地で出始め、その後「セイヴァリ」「ニューコメン」「ワット」などの手によりようやく蒸気機関が実用化されるのです。

 

では1世紀のギリシャやローマにはそういう流れは発生しなかったのでしょうか?

 

ギリシャの人手事情ですが、彼らの人口はいても10~20万人くらい、ローマ辺りは人も多かったですが百万人と言った所で、二つ合わせても日本の東京の人口に遠く及ばない程度の人数しか中央にはいませんでした。

 

ましてやその中でも豊かな暮らしが出来る人(貴族)は大体平均1~2%前後、推定1万人程度となります。その1万人程度が贅沢なくらしをするだけなら残りの98~99%の人間を労働力とすればよく、ギリシャではわざわざ蒸気機関を発展させる必要もなかったわけです。

 

人は無条件に発展を求めるか?

 

ここまで聞いて「いや、必要ないとは言っても人は普通、理由なんかなくたって進歩や発展を求めるもんじゃね?」 と思うかもしれません。実際、それが全くないとはいいません。

 

しかし現代の我々が理由もなく進歩や発展を強く求めるのは、教育や近代の急激な発展の経験によって、進歩や発展のうま味を知ってしまっているからです。

 

我々は『この技術、今は使い方が分からないけど、きっと誰かが何かに役立ててくれるに違いない』『誰かがこの技術を生かしてすごい物を作って、僕らを得させてくれるに違いない』と無条件に信じているからこそ何の疑いもなく発展や進歩を望み、前進する努力を惜しまないのです。

 

そういった発展に対する先々への期待感もない、そんな昔の人類をかろうじて発展に導いたのは知的好奇心を満たしたいという知識欲、そして戦争でした。

 

知的好奇心によってギリシャ・ローマ人たちは数々の発明をしましたが、それは言ってみればお遊びのようなもので、そのほとんどが時間が経てば遊びつくされたおもちゃのように放置され、それを発展実用化させようという者は殆ど現れませんでした。

 

戦争はどうでしょう? これも一つの手近な「必要性」であり、確かにそこに文明発展の糸口になったものもありました。

 

しかし、基本的に軍事関係の発明は戦争で使われる時点で既に役目をはたしているわけで、そこから文明発達の為に転用させようとする者はやはり現れませんでした。

 

このように古代の発明の動機というのは基本刹那的で、その発明を他へ応用しようという所まで考えが及ばなかったのです。

 

魔法による伐採・肥料生産は農業を発展させるか?

 

さて、以前書きました動画チャット上で飛び交った意見の中に「魔法によって山林を伐採して土地をたくさん増やせれば農業は発展するんじゃね?」という意見もありました。

 

果たしてどうでしょうか? その辺りをこれまでに書いたことを踏まえて考えてみます。

 

確かに、農場を作りたくても土地が無くて作れないという状況が農業の発達を妨げ、それを解消する事によって農業が発達するという事はありそうに思えます。

 

しかし思い出してみてください。大抵のファンタジー世界は広々としており、農地が作れないほど土地がないような世界観というのはとんと見る事はありません。そもそも農地が足りなくなる状況とはどんな状況でしょう? 人口の少なさそうなほとんどの世界観では想像できません。

 

ここで、我々のいる現実世界の歴史を再びひも解いてみます。我々の世界、特にヨーロッパの森林、山岳地帯では結構早期に森林を開き農地を作る事が行われていました。

 

「なんだ、農地が足りていても開墾は行われるんじゃないか」と思うかもしれませんが、すこし事情が違います。

 

古代ヨーロッパの場合、農地開墾の理由は「農地が不足していたから」という理由ではなく、「森林を燃やした後地を畑にすると食物がよく育つ」という事が体感的に理解されていたからです。

 

つまり初期の農業はそうやって野山を焼いて天然の肥料を得ていたわけです。しかし、そういった土地は数年で養分が無くなり痩せ細るため、人々は畑が使えなくなるたびにまだ焼いていない近隣の森林を焼いてそこを畑として、転々と畑を移していく必要がありました。

 

初期の頃の開拓は、けして広い土地が必要だったからそうしたわけではなく、肥えた土地を求めての事なのです。したがって、開墾も数年に一度のタイミングで必要な分だけ行われるような感じでした。

 

「なんだ、だったら肥料を魔法で作れれば発展するじゃん」と考えるかもしれませんが、それは早とちりです。なぜならば、当時は肥料を必要とするほど農作物の生産が必要としていなかったからです。

 

特に西暦一桁代あたりは自分たちが春から秋まで毎日食べる分と冬を越す貯え分だけ作れれば十分で、それは個人の畑で十分賄え、その土地の肥料も山を焼いて十分賄える量でした。山を焼けば十分な量がタダで手に入るのに、わざわざ金を掛けるような人はいないわけです。

 

 長くなったので、次回に続けます。

魔法が発達すると農業は本当に発達するか?(その1)

コメント付きの動画を見ていますと、何やら世間ではそんなことが言われているようでしたので、気になって色々調べたり考えたりしてみました。

 

結論から言うと、特定の条件を満たしていないと難しいと思います。

 

では、その特定の条件について我々の世界の農業の発展に照らし合わせて思考実験したいと思います。

 

ちなみに個人的な意見としては、「魔法が発達した世界では農業が発達するのは自然か?」と問われれば「自然ではない」と答えますが、けして「魔法の発達が農業に影響するようなファンタジーがあってはいけない」と言っているわけではないです。

 

「魔法がいびつに発達したが農業は原始時代」みたいな世界観があってもいいし、「ファイヤーボールレベルの魔法もないけど、魔法による動植物の育成技術は進んでいて魔法グルメ時代を迎えている」みたいな世界観があってもいいのです。それがファンタジーです。神様を絡めれば大体の事は解決しますw

 

 

発達にかかせない発明に必要なのは99%の努力と1%のひらめきである

 

まずとっかかりとしまして。「何かが発達する」というのは大体の場合、今までにない物や仕組みを作り出す「発明」という工程を必要とします

 

そしてこの発明は、その材料が全てそろっていれば必然的に生まれてくる……というほど単純なものではなく、今までにない発想つまりは「ひらめき」を必要とします

 

この辺り農業とは関係ありませんが、「火炎瓶」の発明の例が分かりやすいと思います。

 

火炎瓶をざっくり説明しますと、それは割れやすい容器に油などの可燃性の液体を入れ、布切れを巻き込むようにふたをし、布切れに火をつけて投げるという武器。

 

容器がターゲットや地面などにぶつかって割れると、辺りに可燃性の液体が飛び散るとともに布切れの火が液体に引火。あっというまに辺り一面が火の海になるという、手間の割には非常に効果の高い優れモノの武器です。

 

結構単純な武器ですし、火計自体は三国志などにみられるように一桁世紀に既にあったのもので、さぞかしその歴史も古いのだろうと思われますが、意外や意外、火炎瓶が歴史上に姿を現すのは20世紀前半から中盤に差し掛かる辺りだったりします。

 

容器自体は油壷なり古くからありますし、油も紀元前から20世紀の間に脂肪油や植物油などから灯油などの可燃性が極めて高いものに進化していながら、火炎瓶はその登場に実に数千年レベルの長い時を必要としたのです。

 

そういう簡単そうな組み合わせの有効な生かし方を数千年間、誰もひらめくことが出来なかったが為に。

 

蒸気機関もそうです。蒸気自体は火でお湯を沸かす事が出来れば発生させることが可能で、あとはその吹き出す勢いを回転に結び付け、動力とするひらめきあればすぐに実現できるものです。

 

回転まではけっこう初期に実現し、1世紀にはアレキサンドリアの学者が蒸気による回転機関を作っています。ボイラーなどに必要な鉄の精製技術も二桁世紀に達する頃にはかなりのレベルまで進んでいます。

 

しかしそれから人類が蒸気を動力源として工業機械に生かす事をひらめき、その実用化に着手するのは17世紀もたった頃の話になります。

 

このように、生み出す素地が存在する事と、実際にそれが有効に使われるようになる事には大きな隔たりがあるのです。我々がその繋がりをすぐに思いつくことが出来るのは、先人たちの努力と現代教育の賜物に他なりません。

 

さて、魔法と農業の発達の関連性について、例えば「火が魔法で簡単に起こせるんだから、温室なんてすぐに出来るだろ」という主張がコメントに見られたのですが、では、これを我々の文明の進化と照らし合わせて考えてみます。

 

実際の所、これはひらめきとか、思いつくとかつかないとかそれ以前の問題です。

 

「熱い」と「暑い」

 

二つとも熱に関する言葉です。前者はものの温度を指し、後者は気温など天候的な温度を示します。

 

今となってはこの2つに密接な関係がある事が分かっていますが、実はこの相関関係が理解され始めたのは16世紀終盤に温度計が発明されてから後の話になります。ちなみに発明の足掛かりを作ったのは皆さんおなじみのガリレオ・ガリレイです。

 

それまでは、そもそも温度と言う物が具体的にどういう現象であるのかが理解されていなかったため、「熱い」と「暑い」この2つが体感的に何か関係があるのは分かっていても、その関係性を具体的に理解する者は誰もいなかったのです。

 

つまり、確かに部屋の中で火を焚けば中は暖かくなりますが、その暖かさと季節による暖かさが同一のものである事が分からず、よって部屋の温度を春と同じような感じにすれば、春と同じように植物が育つという考えにも至らなかったのです。

 

実際、温室自体の存在は紀元前あたりに見られますが、それらは単に日当たりのよい密室によって実現させる方式が主で、火を焚いて室内を温めるようなものは見られませんでした。あるいはどこかで偶然実現した人がいたのかもしれませんが、少なくともヨーロッパの歴史の表舞台に出てくる事はなかったのです。

 

それが、暖かくなると物が膨張する発見があって温度計が作られ、それに熱い物を近づけると同じく膨張現象が起こる事から、物理的に2つは近似する現象であるという理解がようやく出来るようになったのです。

 

そして、その理解をへて、さらには透明なガラスの発明もあってようやく近代的な温室という物が歴史に姿を見せます。17世紀の初めごろです。

 

そんなわけで、私たちが「魔法によって部屋を暖め温室とする」と考えられるのは上記のような経緯によって得られた結果を教養として理解しているからであり、それ無しではここまでの考えに至るのに千年単位の時が必要となるのです。

 

もし、とあるファンタジー世界で、魔法の理解に科学的な原理の裏打ちがあり「熱さ」と「暑さ」の関連性にまで理解が及んでいれば、その世界ではあるいは魔法による温室みたいなものが早期に実現するかもしれません。

 

しかし自分が知る限り、特にラノベ系でそこまで大系的に魔法技術の進んだ世界観を描いた作品はそう多くはないはずです。探せばあるでしょうが、それが一般的なラノベ魔法の世界観かと問われれば、そうではないだろうと思います。

 

魔法の発達だけでは発明は難しい

 

ここまで書いて、一部の人は「温室はそうかもしれないけど、それ以外で魔法によって農業の発展に貢献する要素があるかもしれないじゃないか」と反論するかもしれません。

 

しかし、もし「それ以外」の要素が、単に我々の科学で実現できることを魔法で体現しているだけに過ぎないのなら、やはり同じことです。

 

それが実現するためには魔法だけが発展してもダメで、魔法を発達に生かすに足る思考の発達が無ければ、世の中に誕生しえないのです。

 

それでも誕生させようとしたら、そこは一人の神にも等しい天才を出すか、あるいは未来からの転生者に伝授させるか、「神様が」「古代文明人が」というパワーワードを使うしかありませんw

 

そういう背景もなく、ただ使える魔法があるというだけの理由で、(多くのファンタジーが土台にしているであろう)一桁世紀程度の思考発達レベルで普通にその技術が存在してしまうのなら、その世界観はむしろ不自然なのです。

 

次回は、別のベクトルから魔法による農業発達について考察します。

『(ラノベ)作家志望者の言う「キャラが勝手に動く」の問題』を見て

anond.hatelabo.jp

匿名日記にこんなスレがありまして。それを見て自分が思った事を書かせて頂きます。

 

 

創作物の話の流れの最終的な責任は作者自身にある

 

スレ主は、おそらくそういう事を言っているのだと思います。その辺りは同感です。

 

また、大切なのは面白い作品を作る事であって、非凡な方法で話を書く才能があったとしてもそれで出来る作品がつまらないなら意味がないし、凡庸な作法で書いてもそれで作品が面白いならそっちの方が優れているって事なわけで。それが1番に重要だと思います。

 

少なくとも「キャラが勝手に動いた」なんて言い訳は、つまらない話を作ってしまった責任を回避する理由にはなりはしないと言う事です。

 

そういう事なら、スレ主の意見は自分の考えと大して相違ないと思います。

 

ただ、気になる点として、スレ主は「基本的に『キャラが勝手に動く』のは錯覚だ」と言っています。またスレで語られている専門学生の言い方はリアリティを追求するスタンスの比喩であり、実際に本当にキャラが頭の中で自律的に動いている現象を指しているわけでは無さそうです。

 

でも、プロで「キャラが勝手に動く」という事をおっしゃっている作家は「本当にキャラが頭の中で動く」という風に語っており、またスレ主自身も「主張する作家10人に1人の天才的な描き手は、そういう感覚を実際に体験しているのかも知れない」と言っています。

 

だからといって、少なくとも脳の中に自分以外の人格が発生してそれが勝手にキャラを動かしている、という事はあり得ないわけでw どういう形であれ、本人の脳みそからひり出されているのは間違いないでしょう。

 

では「キャラが勝手に動く」というのは実際はどういう現象なのでしょう?

 

「キャラが勝手に動く」って何?

 

でまあ、いろいろな人の話を聞いて自分の中で得た結論というか仮説としまして、「キャラが勝手に動く」という現象はぶっちゃけ高度な妄想だと捉えてましてw 

 

いや、別に錯覚を別の言い方に置き換えて「非現実的だ」と言いたいわけではないのですw

 

個人が、好きな人やキャラに対して抱く妄想。その中に出てくる妄想の対象ってわりかし自立性がある……ていうか妄想って、考える間もなく勝手に頭から湧き出してくるもので。

 

少なくとも妄想対象となっている人物なりキャラなりの発言なり行動なりについてあまり「こうしよう」とか「ああ動かそう」とか考え悩まないわけです。妄想が始まるとその対象となっている相手はある程度勝手に動いてくれるわけですよw

 

で、この擬似的な自立性こそがキャラが勝手に動く事の正体なんだろうと。

 

で、創作中に「キャラが勝手に動く」のを体験している人は妄想の敷居が低く、欲望とかそういう大きな動力源に頼らなくてもちょっとした空想とか想像とかでキャラの行動がひとりでに湧き出してくる。そういう事になっているのかなと。

 

それは実際、刹那の間に頭の中のどこかでは脳細胞が物理的な反応を起こして自分の願望を投影しているはずですが、その過程が知覚される事無く(あるいは知覚する間もなく)その結果だけが頭の中に浮かび上がる。人間の脳には誰にで大なり小なりもそういう現象なり機能なりがあるのではないかと思うわけです。根拠はありませんがw

 

「高度な妄想」を創作の中に取り入れる難しさ

 

しかし、もし本当に「キャラが勝手に動く」のが高度な妄想だとすると、これを作法のメインに据えるのには困難も多くありまして……。

 

まず、ニッチなモノになりがちである事。趣味が似通っているなど妄想が共有できる人にはすごい刺さるかもしれません。しかしそういうネタは刺さらない人には本当に全く刺さらないです。

 

それでも、市場を形成出来る数くらい刺さりそうな人が沢山いれば、それは食っていくには問題ない作品となるわけですが、そういう数万人単位で刺さりそうな妄想が出来る人はめったにいません。

 

精々、妄想を同人誌にして売って小遣い稼ぎが出来る程度が関の山でしょう。え? 壁サークル作家はどうなのって? あれは殆どが努力と計算と経験のたまものですってw

 

では、妄想をある程度コントロールするのはどうでしょう? 妄想を垂れ流しながらも、それを所々で軌道修正して面白いモノに、万人に受けそうな方向にもっていくやり方。

 

それなら、ただの妄想を垂れ流すよりははるかに刺さる可能性が高いです。しかしそれとて、いばらの道です。

 

なぜなら、出来た物が面白いかつまらないか自分で判断するのが難しいから。だって、自分の妄想ですよ? それが形になって『自分にとって』つまらないわけないじゃないですかw

 

それを軌道修正するという事は、自分にとって面白いと感じたものを、敢えて崩すという事なわけで。実際にやってみると、面白いモノを敢えて自分で台無しにしている感覚さえしてくるのです。しかもその感覚は『局所的には』あながち間違っていない可能性もあります。

 

「キャラが勝手に動く」面白さは局所的

 

「キャラが勝手に動く」事に頼って作った話が本当に面白かったとしても、それはあくまで局所的である場合が殆どです。出来上がるお話のキャラクターは、その場その場のノリで反射的にユニークな反応をするオブジェクトに過ぎません。

 

ギャグ系やエロ系や萌を主体としているような作品ならそれで十分であるし、むしろそういう刹那的なものが望まれているとすら言えるのですが、例えばストーリー重視の作品をこの手法だけで作るのはかなり難しいと思います。てか3幕構成とか伏線とかそんなのが入りこむ妄想ってどんな妄想やねんって話ですw

 

それに、面白い物語のキャラクターが、一部の隙も無く常に面白い事をしているかというとそうではないはずです。最終的な結末の為にその場では白けるような行為をする事だってあるはずです。

 

よほど天才的な感性や俯瞰視点を持っているか、読書経験などで物語の類型が自然と頭から垂れ流されるようなそんな才覚を持っていないと、そういったことを妄想に織り交ぜるのは難しいでしょう。

 

ゆえに、ストーリー物では個々の場面の面白さに捕らわれていては全体的に面白くする事は難しく、場面単体を多少盛り下げるような軌道修正が必要になる場合もあるという事です。

 

手段と目的を取り違えない

 

最初に言った通り、一番大切なのは「面白い作品を作る」と言う事だと思います。高度な妄想がそれに一役買っているというのならその技能を使っても構わないでしょう。しかし、その場合自分自身の作品を自分は客観的に評価出来ているのか、常に自分に問いかけ注意深く判断する必要があると思います。

 

そしてその才能で食っていこうと考えているのなら、その技能が自分の書きたい方向性に向いているかどうかを判断し、仮に向いていない場合それを補う自分だけの作法を一人で探っていかなければならないけど大丈夫か、という辺りを考える必要があると思います。

 

それが出来ずに単に「他の人とは違う事が出来る」という誇らしさだけで道を判断すれば、本来なりたかったものへの道のりが遠回りになるか、最悪たどり着けない事もありえると思われます。

ラノベにおける「共和国」の扱いに関して色々思う所

前に別のブログに書いた記事に加筆してこちらに掲載します。結構ネタ古いですw

 

事の成り行きは、Twitter上で確か大学の教授先生らしき人が「ラノベで共和国なのに姫様がいて草生える」みたいなツイートをしていた事に起因していまして、気になって調べたり思ったりした事を記事にしたわけです。

 

ぶっちゃけ

 

国の名前というのは自称であり、特に中世は(実際に有ったかどうかは別として)まごう事なき王政国家が「共和国」を自称していたとしても、外部の人間が内政干渉的に「そんな名前を付けてはいかん!」などと取り消しをする事は出来なかった……はずです。出来たらゴメンw

 

それでも国の名前がその政治の実態と大きく異なれば、周りの国がうさん臭く思い信用を得られないため、自国がそういう名前を名乗ることについて内部で反対を受ける可能性は高いでしょう。しかし、君主が高いカリスマを持つような君主制国家なら君主があくまでも「国の名前に『共和国』を付けたい!」と主張すればそれを止めるのがかなり難しいことは想像に難くありません。

 

なので君主国家に対して「この国は共和制をしいている」と作中で説明しているのならそれは間違いですが、国の名前がそうなっているだけならばそういう国の存在があり得ないとは言えないと思われます。国政の実態にかかわらず。ファンタジーだしねw

 

ラノベで『共和国』と付けられる意図

 

ただおそらく、教授の指している作品群の作者たちはそういう方向で深く考えたわけではないでしょう。具体的な作品名が出ていないので、はっきりした事は言えませんが……。

 

一般的にありそうなケースを考えますと、おそらく作者は「王政でありながら主君が国民を愛し、国民主導っぽい平和な政治が行われている国家」みたいなものを安易にイメージして「共和国」を国の名前に付けたんだろうと思われます。

 

これがもし、「歴史大河ロマン」みたいなものを宣伝文句でうたっているような作品なら、君主国が「共和国」を名前につける理由をきちんと説明しないと、作品として薄っぺらい感じになると思います。

 

が、そうではなく単に主人公が大活躍する姿を描くことを主眼においているのなら、主人公の活躍を描かずに国の体制について細かく何ページも書くのはむしろ興醒めの場合もあるでしょう。

 

なのでそういう場合、背景も一切説明せずに「共和国」の一言で済ませたほうが活劇としては評価される場合もあると思います。専門家が言う所の誤用を行って興醒めになるのは、この場合ごく一部なのではないでしょうか。

 

ただ、ツイートを読む限り、おそらく教授は上記で述べたような事は理解しつつ、その上で「自分の専門に関する内容で斬新な表現を見て、思わず吹き出してしまった。全く日本の教育生かされてねえwww」程度な意味合いでツイートしたんだろうと思います。

 

自分も例えば「コンピューターウイルスがコンセントから電線を伝ってPCに感染した」みたいな内容を目にすれば、表現法としては理解しても、そりゃあ「アホかwww」と吹き出しますw

 

共和政ローマの話

 

ちなみに、この話題が気になって色々調べていく中で興味深かったのが「共和政ローマ」の話。この時代のローマは共和政とうたいながら「元首」「貴族」「平民」が三つ巴で政治を行う混合政体でありました。

 

「共和政であって共和国じゃないじゃん」と言うかもしれませんが、この国の正式名称は「レス プブリカ ローマ」訳して「ローマ共和国」。彼らは昔そう自称していたのです。

 

しかし、のちの1700年後半に本当の意味でのローマ共和国が樹立されたので、歴史学上ではそれと区別するためにその時代のローマは「共和政ローマ」と呼んでいるのです。そんなわけで、知識人の中には「古代ローマ共和国」と呼ぶ人もいます。

 

個人感では「古代ローマ共和国」と呼ぶ方がしっくりくる感じがしますが、自信ありません。てか、どちらでも構わないと思いますw

 

「『古代ローマ共和国』と呼ぶのは間違っている! 許さん! 絶対に『共和政ローマ』と呼称しなければならない」とする人たちからすれば、信じる別の真実や理論もあるのでしょう。

 

ただ、ここで「共和政ローマ」が正しいか、それとも「古代ローマ共和国」が正しいかを明らかにすることに意味は無いと思います。

 

言いたいのは、「古代ローマ共和国」が正しいと思っている人たちが少なからずいて、そういう人たちはよほど矛盾がない限り共和国に姫様がいても「まあ、そういう事もあるかもね」と軽くスルーするんじゃないかと思うんです。

 

そういう、すんなり話を受け入れられる人、あるいはどうでもいいと思っている人向けに話を作るか、あくまでもきっちりとしたい人向けに話を合わせて作るか、どちら向けに話を作るのもそれは自由なのではないかと思うのです。

 

余談

 

ただ……、「君主制国家が共和制国家を自称する」というのは、それだけで話が一つ作れそうなネタなわけでw 個人的には、その辺りに気が付かず何も考えずにナチュラルに命名したっきり放っておくのはもったいない気がします。やっぱり勉強は重要ですw

 

あと、以下の記事も面白いです

 

kazenotori.hatenablog.com

 

tinyangel.jog.client.jp